01・東京の家並み 2004/06/03
02・板壁 2004/06/08
03・白樺 2004/06/14
04・不動通りで見つけた その1「ゲート」2004/07/09
05・不動通りで見つけた その2「名前の由来」2004/07/10
06・不動通りで見つけた その3 「手焼き煎餅や」2004/07/13
07・不動通りで見つけた その4「幡ヶ谷銭湯」2004/07/26
08・不動通りで見つけた その5「イランのお店」2004/07/28
09・不動通りで見つけた その6「ゲート2」2004/08/03
10・加賀市でみつけた その1「ドームハウス」2004/08/28
11・加賀市でみつけた その2「加佐ノ岬」2004/09/02
12・加賀市でみつけた 番外編 1 2004/09/03
13・加賀市でみつけた その3「白山」2004/09/08
14・金沢東山 「志摩」2004/09/13
15・加賀市でみつけた その4「雪の科学館」2004/09/16
16・加賀市でみつけた その5「尼御前岬」2004/09/17
17・加賀市で見つけた 番外編 2 2004/09/27
18・加賀市でみつけた その6「暁の白山」2004/10/02
19・加賀市でみつけた その7「いさりふね」2004/10/09
20・加賀市でみつけた その8「しけ」2004/10/16
21・加賀市でみつけた その9「のこぎり屋根」2005/01/19
22・富士見坂 その1 2005/02/22
23・富士見坂 その2 谷中銀座 2005/02/23
24・富士見坂 その3 蛍坂 2005/02/24
25・加賀市で見つけた その10「竹の浦館〜旧瀬越小学校」2005/02/28
26・新宿駅南口 2005/03/01
27・加賀市で見つけた その11「篠原の金明竹」2005/03/02
28・東京の雪景色 2005/03/04
29・加賀市でみつけた その12「北前船の里 橋立」2005/03/07
30・加賀市でみつけた 番外編 3 2005/03/25
自宅の屋上から見える風景、そこには東京の土地を使う人々の生活が混沌と表出している。住宅の庭の替わりとして、洗濯場として、避難用のヘリポート、電柱のトランス、隣人の風景を遮る高層マンション・・・・しかし空の広がりを感じることでホッとする場所でもある。
家並みというと私的に思い出されるのが、小津監督の「東京ストーリー」で、古き良き尾道の美しい瓦屋根の家並みの風景が印象的であった。その風景が映画で描かれている人を象徴しているように、東京の風景は多様である。
2004/06/03 ishikawa
東京の路地空間に時代に取り残されたような古い下見板壁の建物。アトリエをここに構えるときにエントランスの壁をその下見板壁に呼応する形でデザインしたものである。ちなみにアトリエの手前に植わっているのはソテツである。
2004/06/08 ishikawa
湯治のため訪れた増富温泉の近く山梨県須玉町瑞垣山の白樺。新緑と白のコントラストが美しく、思わず撮影したもの。(湯治は喘息の息子のため)
2004/06/14 ishikawa
事務所近くにある渋谷区本町不動通り。渋谷区とはいえなかなか味がある。先日はNHKの深夜連続ドラマの撮影もおこなわれていた。(俳優の筧さんが走ってました)
山手通り側にあるゲート。内側から見ると向こうに新宿パークタワーが見えるけど、ゲートのロゴが何とも時代を思わせる。このゲートはなぜか道路に対し斜めに立っている。写真を斜めに撮っているせいではない。より大きく幅広に見せる為か、製作寸法を間違えた(ということはないか)からか?不自然な始まりなのである。2004/7/9 kao
不動通りというからにはその由来あり!山手通り側に荘厳寺と不動堂がある。平日昼間、おまけに気温35度となるとさすがにひとっこひとりいない。猫もいない。賽銭箱に気持ちばかり入れ、「こここは何が専門(?)かな」と考えつつも一応、事務所の繁栄と家内安全をお願いする。由来めいたものを探すがとくにこれといってない。(今度調べておきます)帰り際、看板を発見。「そうか、ここに集まっても最終的には明治神宮な訳ね」と妙に納得して仕事に戻ったのでした。
2007/1/17 Kao
不動堂近くにある手焼きせんべい屋。なんとも美味しそうに並ぶせんべい。
このなつかしげな店、現在建物は改修中の様子でシートに覆われてこのファサードしか見えない。改修後はさらにお店にまで手をつけるのか?いえいえ、このくりぬきのの感じのまま、まわりは綺麗になってもこの雰囲気のまま存続していただきたい。改修後の様子はまたお知らせしまーす!
2006/12/25 ishikawa
不動通りを脇道にはいったところにある「幡ヶ谷浴場」。民家の真ん中にあり一瞬みのがしてしまいそうですが、あります、、、、、看板。
ここって本町だけど「幡ヶ谷」なんだなあ。入り口はさらに奥まったところにあり、営業時間外なのでしっかりシャッターが閉まっていて中の様子はわかりません。(一度入浴に来ましょう。)このあたり、古い木造賃貸住宅なども残っているのでご利用者もたくさんいるのでは、、、。空を見上げると不動通りと周辺の町が一望できそうな煙突が有ります。2004/7/26 kao
何のお店だと思いますか?最初に覗いたときは、独特のタイルの青から「トルコ」かなあと思いました。実際は「イラン」のお店。中にはイランで焼いたタイル、照明、織物(手書き)など小物があふれています。ちょっと独特の香りもします。タイルの模様は本当に繊細で緻密。えっ手書き?って感じ。輸入雑貨のお店って結構いろいろあると思うけど、イランって珍しい。私はその文化の一端に初めて触れました。2004/7/28 kao
その1であつかいました、不動通りの顔であるゲートの別バージョン。水道道路との境とその1のゲートの山手通りとは反対側の終わりの2カ所
にあります。この写真は昼間に撮ったもので少々わかりづらいのですが、中に照明がしこまれておりまして、夜になると「FUDO DORI」の文字とトナカイや雪の結晶などの型をぬいた部分が赤くひかります。(なんだかクリスマスみたいですが、、、、)
その1のゲートは「ふどう通り」→ぶどうどおり
その6のゲートは「FUDO DORI」 →フードどおり
と読めてしまうのが私としては一番気になるんですが。名前はきちんと伝えたいものです!2004/8/3 kao
以前から小松空港から現場へ向かう途中で気になっていた建物で、最近、日経アーキテクチャーに紹介されていて驚いて撮影しました。写真の上がドームハウスで下が社屋です。一見フラーの自動車の流線型を彷彿とさせるこのドームハウスは、ユニット式で素材が発泡スチロールなので軽量で施工が簡単らしい。また居住性能も断熱性能がよく、床暖房ユニットもあるらしい。リゾート地での需要が高いようだが、災害時の避難キャンプにも応用できる技術のように思う。ただ我々としてはもう少し格好よさもあってもよいかなと・・。2004/8/28 ishikawa
日本海には夕日が沈む太平洋側に住む人間とって特別な風景である。仕事が終わって夕日が出ていたので、とりあえず橋立の方へ行き、海岸沿いを車で走りこの岬を見つけた。岬は小高い台地上で車で行くとそこは山の中である、駐車場に車を止めて岬の方へ歩くと急に眼下に海が広がるこのあたりは国定公園で加賀海岸の特徴的な海蝕崖で、海蝕崖とは軽石質砂岩からなり日本海の荒波に削られてできたもので約35キロ続いているらしい。岬には灯台がある、下の写真の右上から左下に下ってきた。帰り道は暗くなってしまい、やや不気味な雰囲気になり、拉致されないかと不安だった(笑)車で海岸へ向かう途中夕日が見えていたのだが、珍しい友人からの電話で時間をとられ、結局夕日が沈むところは見られなかった。 2004/9/2 ishikawa
加賀市からの帰路バスの時間が11時40分と遅いので、24時間営業のロードサイドスーパーのレストランで食事をするその後2時間以上、仕事をしたり本を読んだり。スーパーではテレビも見られる。写真は車の中から。雨が降ってきた 。リースの車を駐車場に泊めてバス停へ、金沢から来るバスはいつも時間が正確で感心する。ここから八王子までバスの中で睡眠。八王子へは朝6時半に到着する。2004/9/3 ishikawa
「日本人は大ていふるさとの山をもっている。山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護神のような山を持っている。そしてその山を眺めながら育ち、成人してふるさとをはなれても、そのやまの姿は心に残っている。どんなに世相が変わっても、その山だけは昔のままで、あたたかく故郷の人を迎えてくれる。」
日本百名山 深田久弥著 新潮社
はじめて加賀市を訪れた日に撮影した2月の白山。小学校のプロパーザルに参加を決め敷地を見に来た時である。北陸の2月に希な快晴の日の白山との出会い以来、この写真のような美しい姿に出会えていない。8月21日に紹介した小学校は白山への景観軸を中心に据え配置されている。2004/9/8 ishikawa
週末 仕事を終えて加賀市から金沢へそこで見つけた「志摩」お茶屋の紹介をすこし「ひがし茶屋街は文政三年(1820)に加賀藩がこの近辺に点在していたお茶屋をここに集めて町割りしたものである。格子戸と大戸、それに二階の造りが高い町並みは、藩政時代の面影を今も残している。ここでの遊びといっても、琴、三弦、舞、謡曲、茶の湯から、和歌、俳諧に及ぶものであり、巾広く高い技能と教養が要求され「芸どころ金沢」の礎となった。ガイドより抜粋
現在この茶屋街は、国の重要伝統的建造物群保存地区となっている。」国指定文化財ということで保存と管理がとても良く行き届いていた。金沢を訪れた時には是非。
詳しくはHPでhttp://www.ochaya-shima.com/index.html
2004/9/13 ishikawa
中谷宇吉郎 雪の科学館
「雪は天から送られた手紙である-この詩情あふれる言葉を残した中谷宇吉郎(1900-1962)は、加賀市の出身で、雪の結晶の美しさに魅せられ、北海道大学で世界ではじめて人工的に雪の結晶を作りだした科学者です。雪や氷に関する科学の分野を次々開拓し、その活躍の場はグリーンランドなど世界各地に広がりました。・・・・」
雪の科学館 パンフレットより抜粋
建築の設計は磯崎新氏による。アプローチはオンサイトのランドスケープで、白山に向かっている。左手奥の板貼りの建物が科学館、雪の結晶と同じ六角形をしている。
中庭があり、博士が最後の研究をしたグリーンランド氷河のモレーンの石の原。北緯78°の極地から運搬したもの。人工霧のインスタレーションは博士の娘のアーティスト中谷芙二子氏による。(東京立川の昭和記念公園にも同じ装置がある)2004/9/15 ishikawa
「その昔、源義経主従が都から逃れて陸奧の国へ向かう途中、この地まできましたが、従者のなかのひとりの尼がこの先の(歌舞伎「勧進帳」で有名な)安宅の関の取り締りが厳しいことを聞き及び、主君の足出まといになることを憂いて潔く意を決し、主君の無事を祈ってこの岩頭から身を投じました。この尼の名が尼御前といい、それ以来いつしかこの岬を尼御前岬と呼ぶようになったということです。」というエピソードは恥ずかしながら最近知りました。それまでは岬の駐車場で早朝に車を停めて海の音を聞きながら睡眠をとるだけでした。写真が尼御前の銅像です、その足下に岬の由来が書いてありました。岬の先端から足下をみるとこんな感じです。このあたりに身を投じたのだろうか?灯台が見えます。曇っていました。2004/9/17 ishikawa
海辺の朝焼け
a red sky at sunrise is said to be sign of rain
朝焼けを和英辞典で調べていたらこんなイギリスの諺がのっていた。それを裏付けるように、昼間11時過ぎからどしゃ降りとなった。日本でも同じなのだろうか?帰りのバス停も屋根がなく、バス停前の居酒屋の軒下でバスを待つことになった。2004/9/27 ishikawa
早朝5時半にいつものように尼御前岬へ車で橋立港の脇を通っていくのだが、いつもは静まり返っている港が何となく人が活動している雰囲気がした。岬へ着いて海をみると遠くに漁船が見えた、かすかにエンジンの音や拡声器で会話している音が聞こえた。8月の末にはこの時間にまだ明るかった岬も10月になり次第に暗くなってきた。それに伴い冬に向かってこの岬がどんな風景に移り変わっていくか楽しみになってきた。2004/10/2 ishikawa
先週はいさりふねの浮かんでいた海も今週は「しけ」だった。先週よりもグッと冷え込んできました。日本海の荒波もこれからが本番でしょう。2004/10/162 ishikawa
加賀市にあるJR大聖寺駅のホームから見える「のこぎり屋根」地元では有名な自転車のチェーンなどを制作している大同工業の工場である。かなり古そうな建築物でなぜ雪の多い地方でこんな屋根をしているのかは、謎である。知っている方がいたらご教示下さい。我々も加賀市で設計している物件では雪に関しては注意するようにアドバイス受けたが、この屋根形態はそんなことお構いなしで大雪のときどうなっているか見てみたい。
この日はここから、福井まで普通で行き、そこから特急に乗り継ぎ米原まで、そこから新幹線で東京まで帰ってきた。約5時間の道のりである。2005/01/19 ishikawa
タモリの「坂道美学入門」をエントリーして随分たってしまったが、本を片手に散歩してきました。(引っ越し前のブログでの話)
ルートはJR西日暮里駅から谷中界隈を通って千代田線の千駄木駅へぬけるルートです。3回くらいでこのルートのレポートします。
写真は西日暮里の駅の脇を諏訪台通りへ登る坂、特に名前はないがスタートの一枚。(地図)
この写真がタイトルの「富士見坂」晴れていれば今もこの先に富士山が見えるらしいのだが、あいにく曇りでした。この界隈は谷中の寺町で周囲はお寺ばかり、写真の左側の壁も「妙法寺」の壁。(地図)
富士見坂を下らず諏訪通りを進むと七面坂になります。二股の左の方です。右へ行くと谷中銀座です
写真をよく見ると「質屋おぢさん」なる看板が?当日は気が付かなかった!残念。ということで、賑わっている谷中銀座の方へ下りました。
谷中銀座へ下る階段を振り返る。「夕やけだんだん」と言う階段。由来は不明。(地図)
谷中銀座は日曜日ということもあり、賑わっていた。・・・・つづく。2005/2/22 ishikawa
谷中銀座見つけた一番のお気に入りは各商店の篆刻(てんこく)看板である。芸大の学生が協力しているのだろうか?気の利いたデザインのものが多く見受けられた。
(地図)谷中は頑張って街づくりがされていて、歩いていても住民の活気を感じます。谷中銀座を抜けて、七面坂を上がってもとの二股の道路に戻りました。
2005/2/23 ishikawa
七面坂を諏訪台通りに戻ると大黒天があります。そういえばこのあたりは七福神巡りでも有名だったことを思い出す。(地図)
諏訪台通りを進むと朝倉彫像館です。(地図)この先に「タモリの坂道美学入門」の紹介されていた店があるのでそこで食事にしようと目論んでいたら、連れの息子がその先にあったそば屋を指さし「そばがいい!」と訴えるので、予定を変更してそば屋へ。そこの名物は「七福神そば」らしいのだが・・・注文してから気が付く失態。でもなかなかおいしいそば屋さんでした。昼食後さらにさきへ。写真は観音寺の練り壁、蛍坂へ抜ける途中にあります。ここが蛍坂・・と思っていたのだが帰って地図を確認するとここへ抜ける手前の狭い路地が蛍坂らしいのだ・・・坂になっていなかったように思うのだが・・。「タモリの坂道美学入門」には写真が載っているのでそちらで見て貰いたい。(地図)だいたいこのコースの目的は達成されて、この先の谷中小学校で根津に住む友人と待ち合わせの電話した。(地図)そして写真の蛇道をぬけて「芋甚」という店でお汁粉を食べました。ここで谷根千界隈の地図を購入し改めてこの界隈の面白さを知る。(地図)次回は千駄木から根津にぬける「三浦坂」のコースをチャレンジしてみよう。今回はレポートするには準備不足でイマイチな感もありましたが、徐々にレポートの質が進化することを期待してくださいませ。
2005/2/24 ishikawa
加賀市の瀬越は北前船で栄えた街である。竹の浦館は、江戸中期頃その大家、廣海家によって寄付されたものです。瀬越小学校として使われていたものを改修したもの。(地図)正面から開口部のサッシュは複層ガラスで改修されていて、古い外観にあわせて、うまくデザインされている。右手が食堂で、建物配置は正面から見るとEの字形になっている。講堂の木造架構、10mスパン位だったように思います?同じく木造架構。2階の廊下。なにやらノスタルジックな感じです。
2005/2/28 ishikawa
現在の新宿駅南口。高島屋とサザンテラスが出来てから、南口駅前の歩道が飽和状態であったわけだが只今工事中で、歩道が広がり正面には遠距離バスのローターリーなども整備されるらしい(現在もあるが)今は臨時に広がった歩道に夜になると屋台がでる。なにやら新宿らしくてこのまま残して欲しい感じだが、きっと出来上がると新宿らしくない小綺麗な風景になるのだろう。(地図)2005/3/1 ishikawa
国指定の天然記念物の「篠原の金明竹」節ごとに色が異なるのが特徴である。ここからはここに置かれていた説明書きの栞から引用させてもらいます。「金明竹は眞竹の一種で、明治9年6月突然変異で河崎さん宅地内に発生した、金色に近い黄色の幹と、筋模様のある葉を特徴とし、珍しき竹により、明治18年明治天皇北陸巡幸された際に河崎さんと村の役員の方が献上したる際に天皇より篠原の金明竹と命名下されたのであります。明治9年発生以来、命名される迄篠原の人達は縞竹と呼んでおりましたが、命名後は篠原の金明竹としてひろく世間に知ることとなり、昭和2年4月8日、国指定の天延記念物に指定されました。」加賀市篠原町金明竹保存会竹はご存じの通り花を咲かせて一斉に枯れるので、保存にはご苦労があったと聞いた。いつまでもここに無事にあることを願う。2005/03/2 ishikawa
雪が降っています。事務所の3階から撮影先週以来の雪です。昨日の深夜2時くらいに外を見たときには、はみぞれ混じりの雨でしたが、朝起きると一面真っ白でした。昼頃まで降り続けるらしいので、少しだけ雪かきしました。事務所の前のソテツも雪で枝が重そうなのではらってやりました。東京では傘さして自転車に乗っている人も・・・。いま工事監理している北陸では新聞配達も車でした、しかも歩道を走ってました!・・・。そういえばネットでオリジナルの雪の結晶を作り降らせるサイトがあり、その結晶と一緒に友人にメッセージを贈れます。画面には世界中の人がつくった雪の結晶が空から降ってきてそのデザインとメ
セージを見ることができます。いろんなデザインがあって面白く、地球の裏側からのメッセージはネットならではでロマンティックです。ちょっとオススメです。
(snowdays)明後日の日曜も雪の予報です。これが今年、最後の雪となってほしいですね 2005/03/4 ishikawa
加賀市には橋立町、瀬越町、塩屋町の北前船主の里がある。今回はそのうち橋立町の紹介です。(地図)写真は北前船主の里資料館の母屋。北前船とは、江戸中期から明治にかけて、大阪を起点に瀬戸内海から日本海を抜けて北海道までのも航路を、積み荷を売買しながら各地の港に寄港した商船のことを言います。1976年の「船道定法記」によれば、当時の橋立村には48名もの北前船主がいたと記録されており、明治から大正期には「日本一の富豪村」として広く知られていた。(出典:大聖寺藩簡単ガイド 2005/03/7 ishikawa
いつも加賀市でお世話になっている加賀ホンダ。八王子からバスで早朝5時到着して加賀ホンダまで徒歩5分。加賀ホンダの前の駐車場からリースしているシビックで尼御前岬へいき、仮眠します。尼御前には北陸道のパーキングがあるので、とりあえず不便はありません。あと2回か3回行って、しばらく休みまた8月から仕事が再会します。加賀ホンダさんには、格安の値段でリースさせていただいていて、大変助かっております。今後ともヨロシクお願いします。
2005/03/25 ishikawa
dpaはUNHCR協会を通じ難民などの支援をしています
Copyright©2002-2019 dpa,inc. All rights reserved.
TOP PAGE l PROFILE l WORKS l BLOG ACHIVES l CONTACT l PROCESS l LINKS l WALKIN' on the WATER