01・パラソルヒーター
02・耐震強度偽装
03・プロポーザル後記
04・rain tree 〜「雨の樹」
05・地震とエレベーター
06・アスベスト被害 続報
07・アスベスト被害の広がり
08・「谷口生のミュージアム展」
〜記念公演シリーズ第4回
09・「谷口生のミュージアム展」
〜記念公演シリーズ第3回
10・馬車道 みなとみらい線
11・旧横浜銀行本店別館横浜アイランドタワー
12・「谷口生のミュージアム展」
〜記念公演シリーズ第2回
13・横浜大桟橋 4
14・横浜大桟橋 3
15・横浜大桟橋 2
16・横浜大桟橋 1
17・「谷口生のミュージアム展」
〜記念公演シリーズ第1回
18・谷口生のミュージアム展
19・丹下健三氏亡くなる
20・住宅で街をつくる 幕張ベイタウン
パラソルヒーターとは屋外用ガスストーブである。オープンテラスに使用している様子です。WING高輪のイタリアンレストランのオープンテラスで撮影許可を貰って撮りました。
今計画中の案件で天井の高い半屋外的な場所の暖房方法に頭を悩ませていたのですが、このパラソルヒーターを補助暖房として提案できるかチェックしに行きました。
カタログによると直径6mの範囲を快適に暖かくすると書いてありました。体験した感じではほぼカタログ通りだったように感じます。直近ではかなりのパワーであまり近づきすぎると頭が熱いです。
写真のタイプはプロパンガス20㎏を内蔵していると思われます。カタログによると22時間連続運転可能でガスのコストは5250円程度らしいです。ということは一日8時間営業とすると約3日でガス欠になり、一日1800円程度のランニングコストとなります。このテラスには3台ありましたので一日5000円程度ガス代がかかる計算です。
なのでちょっと連続使用が想定される場所には少し辛い感じもしますが、補助的に一時使用するような場所にはもってこいですね。
メーカーサイト
山岡金属工業
レンタルもあります
福田屋
2005/12/24
一般社会にもかなり波紋を広げているこの事件ではあるが。
私たちは建築設計事務所は大きくわけて3つの部門に分けられる。それは「意匠」「構造」「設備」である。それらをひとりの人間が全て設計することはまず殆どない。
受注形態は意匠設計事務所が請けた仕事を構造と設備の設計事務所と協力して行うことが殆どである。
そして今回のケースではどうも偽造した構造設計事務所は施主から特別な存在として、意匠設計事務所やゼネコンの設計部へ紹介され入り込んでいたらしい。通常の逆のパターンである。
やはりその裏にはコスト低減のマジックが存在し、そのマジシャンとして構造設計事務所が施主に利益をもたらす重要な存在であったと考えるのが妥当であろう。「コスト低減のプレッシャーがあった」と容疑者の構造設計事務所が告白していることもこれを裏付けている。
建築業界はバブル崩壊以来、今日までコスト低減とリストラの荒波のただ中にあり、仕事を得るためにはあの手この手と策力を巡らし、大手設計事務所が公共工事の設計を役所とのコネづくりのために数千円で入札するようなダンピングも横行している。その中にあって、特にマンションデベロッパーの注文は業界内では一番厳しいと言われている(安い設計料と短い設計期間と施主の利益追求の為の提案、加えてプンフレットのチェック等の雑務の多い、等)設計の分野である。
今回の事件はもちろん言語道断で誰が悪いかハッキリしているが、なんとなく、業界のこんな状況にあっておこっても不思議ではない事件であった印象もある。
一般のひとはご存じだろうか「建築基準法」とは昔から日本三大ざる法といわれているほど違反建築が横行している。ちなみに残りの法律は「道交法」「売春防止法」である。
設計者や施工者は施主の生命や財産を預かって仕事をしている。その法律がざる法であっていいわけもないし、西洋では「医者」「弁護士」「建築家」といえば尊敬されるべき社会的地位の高い職業である。我々の業界のモラルの低下も情けない限りであるが、やはりどこかで確実にチェックのかかる仕組みづくりも大切であると思う。
2005/11/20 ishikawa
汐留で「日本の民家1955年」を見てきた。ああ日本にこんな風景が50年前にはあったのだなぁと言うのが率直な感想。いくつかの民家は移築されたりしたものを見たことがあるが、やはりもともとあった周辺環境から切り離されて展示されている民家と長い年月の風雪に耐えてそこに建ち風景となっているものの違いは写真を見ても歴然である。
自分は母親の故郷が山梨の竜王で、養蚕をしていた小屋や大きな土間の空間の記憶が少し残っていて、民家の土間の写真を見るうっすらと記憶が蘇る。小学校に入る前の記憶と思うので70年代前半の記憶だろう、この展覧会の写真達の10年以上後である。それでも農家の集落だった竜王の町並みは今にして思えば自分の貴重な原体験として残っていて、特に田園の向こうに見える富士山は鮮明に記憶に残っている。高校や大学の頃はそうした田舎の記憶など古くさく何の価値もないと思っていたし遠い過去のように思っていたが、年を重ねてみると意外と近い過去に日本あった風景であることに気づかされるし、それをこうした写真におさめていたいた慧眼に敬服する。展覧会では亡くなった二川幸夫さんの映像もながされていて、そうした感慨とともに面白く撮影のエピソードを聞かせたいただいた。
そして一路、ゆりかもめで青海で開催されている「HOUSE VISION 2013」へ汐留からアクセスがよいと言う理由で足を運んだのだが、まさに新旧の住宅について見られて良い流れとも思える。こちらはゆりかもめで会場に近づくと会場を俯瞰できるのだが、民家の濃厚な風景から一転して殺伐とした港の風景のなかに寂しく会場が発見される。会場づくりはアスファルトの上に作られた宇宙コロニーかと思わせるような配置計画で汐留を見てから来ると意図したかのようにアイロニカルである。
そして肝心の展示内容はというと正直がっかりな展示ばかりで高い入場料に見合わない。まず体験できないことが全くつまらない。いくつか興味深い展示物もあるのだが、なんと展示ルート以外は立ち入り禁止でまったく体験できない展示が結構あった。特にホンダの展示。「UNI-CAB」と呼ばれる乗り物・・。あれだけは乗ってみたかった。その他、一番最悪と思ったのは展示室6。あの中に入って便座に座って体験しないと意味がないように思えてならないのだが・・・・、。それでも展示4や展示5などは空間自体体感できるようになっていたところはまだ救いであった。でもこれなら最近の企業のショウルームのほうがよく出来ていて新商品など体験できて面白い。それでもこの会場に来てサプライズな商品や技術があればまだよいのだが、なんとなく既に出回っている最新のものを寄せ集めた感じで、展示全体に企業側のやる気のなさ感が透けてみえるような気がしたし、これだけのアーキテクトが関わっているのに・・・。(写真家の杉本博だけが頑張っていたというのも皮肉)。1800円て結構な入場料と思うが・・・。
・・・というか講演出演者を見ると有名建築家がずらっと名前を連ねているのでそれを聞きに来るイベントとしては良かったのかもしれません。それならチケットがたかすぎかな、それとも所詮チケット買って入る客なんて論外と言うことなんでしょうか。
2013/3/20 ishikawa
7月中頃から母校のキャンパスのプロポーザルに参加していました。
プロポーザルとしてはやや変則的で2段階審査で行われたこと、そして一次審査も二次審査も全て公開で行われました。昨日の公開審査は結構なイベントでプレス(日経アーキテクチャー他)も取材に来ていました。
結論から言うと一次は何とか通過したのですが、最終選考会でダメでした。
自力不足を痛感しました。最終には6者残っており、我々以外は業界では知らない人はいない猛者揃いで、ハッキリ言っていろいろな意味で横綱と新入幕力士くらいの差はありました。
それでも約2ヶ月うちこんで考えに考え抜いて出した案が負けたショックは大きく、さすがに昨日は悔しくて・・・・でした。正直、建築をはじめて二十年くらい経ちますが、いままでの文脈ではあの猛者達に立ち向かえない限界点も見えたりして。
それとOBとしては現役の学生に申し訳なかったですね。反面教師にしてもらって、彼等の世代にはもう少し前に進めて欲しいですね。
しかし
今回最終選考に残ったなかでは、まわりの平均年齢を考えれば10歳以上は若いということ・・・それを考えればかけがえのない経験でした。
いつか かならず!
2005/9/28 ishikawa
「雨の樹」rain tree
---「雨の樹」というのは、夜中に驟雨があると、翌日は昼過ぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。他の木はすぐに乾いてしまうのに、指の腹くらいの葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭のいい木でしょう。」~頭のいい「雨の樹」より
大江健三郎のこの小説に触れるきっかけは、武満徹の「raintree」という曲のプログラム・ノーツを読んだのがきっかけである。武満徹は大江健三郎に触発されて「raintree」という曲を書き上げ、それを聴いた大江健三郎がまた~「雨の樹」を聴く女たち、を書いたという。そして文学と音楽の世界で「雨の樹」という隠喩をテーマに作品が作られたことに深い興味を抱き憧れた、そして建築の世界で「雨の樹」を考えること可能であろうか?という問いというか念を脳裏に刻んでいた。いま新たなプロジェクト(と言ってもプロポーザルであるが)のテーマを考えている途中でふと「雨の樹」のことを思いだし、取り組んでいるプロジェクトのテーマに相応しいのではないか?と考えるようになった。例えば、その土地の歴史を葉にためて降らせる手法、自然エネルギーをためて降らせる手法など。時間によって機能が変化する建材・・・つまり時間をためこんだ建材の利用。しかしながら「雨の樹」はそうした方法の隠喩として大江健三郎が提出した概念でなにもいま例えた方法が特に新しいわけではない。武満徹が音で創造的にあらわしように、建築として創造的にあらわせたときに自分にとって「雨の樹」を隠喩とした建築と言える。いつかそういう建築をつくりたいと憧れている。
2005/9/3 ishikawa
23日の震度5強の地震がありました。ブログを運営している渋谷区では震度4でした。わたしは事務所の1階にいて座っていたのですが、したから「カタカタ」と揺れ初めて、地鳴りが聞こえたので、これはまずいと思い、すぐに外に飛び出しました。飛び出した瞬間、横にズリッと地面が揺れる感覚がしました。立っていて大きな揺れを感じるのだから相当な揺れだったのでしょう。
個人的なことはさておき
今回、建築関係で一番問題であったのはエレベーターだろう。首都圏で5万台近いエレベーターが停止した。週末の出来事なので、週明けにはもっと増えると思われる。
では何が問題か
・旧型のエレベーター
これは地震時に停止機能は付いているが、最寄り階までは誘導してくれないので、自らボタンを押して脱出しなければならない。これは各オーナーに自主的に地震管制運転を設備するように進めて貰いたいし、法的にもどうにかできないか見直して貰いたい。
・高層階用のエレベーター
階を飛ばして一気に展望階などへ行くタイプ。これは急速に高層化している首都圏では近年台数が増えとくにタワー型のマンションで問題になるような気がする。これは個別にどのような運転設定になっているのか調査しなければわからないが、東京タワーなどのように途中に着床階などがない設計になっているビルの場合、地震時管制運転がついていても途中で停止してしまいすぐには最寄り階に停止しないと思われる。なぜなら揺れている時に運転していることのほうが危険だからだ。
・ホームエレベーター
ここ数年でバリアフリーなどで急速に普及したタイプ。これは事務所にあるH社のカタログを見ると、地震時管制運転はオプションになっている。もし設備していなければ閉じこめられることになる。
実は地震時管制運転はビル用エレベーターでもオプションである。このオプションをどのように考えるかは設計者とオーナーの考え方になるわけであるが、どう考えてもこのオプションは東京では外せない設備であり、状況を調べたわけではないが、10年位の新築のビルではこの設備がないエレベーターは皆無ではないだろうか。
ちなみに首都圏では地震時管制運転の設備されたエレベーターの普及率は7割程度らしい。
震度5強でエレベーターがこれだけパニックになるのだから、関東大震災クラスではもっとひどい状況が予想される。そして基本的にエレベーターの停止時の連絡方法はエレベーター内の非常通報設置になるわけだが、首都圏のエレベーター30万台から一斉に連絡を受けた場合対応しきれないのは目に見えている。携帯ももちろんつながらないだろう。
いずれにしても、エレベーターに乗っているときに地震に会うのは程度の問題はあるが、運が悪いというのは確かなようだ。
2005/7/25 ishikawa
7月10日の朝日新聞にアスベスト被害の記事に「これまでに石綿による死亡者数」という表の中にメーカー名が公表されていた。
クボタ、ニチアス、竜田工業、ニチアスセラミック、中谷商店、ノザワ、エーアンドエーマテリアル、四国浅野スレート、日本インシュレーション、ウベボード、三菱マテリアル、旭硝子、旭硝子ポリウレタン建材、太平洋セメント、曙ブレーキ工業、神島化学工業、日清紡、日本エタニットパイプ(現ミサワリゾート)、日本バルガー工業、日本ピラー工業。このうちの事務所にカタログのあるメーカーも4社含まれる。アスベストは広範囲に普及品として扱われていただけに、一般の人がどんな材料に含まれていたかをもう少し詳細に公表すべきと思う。また過去にこれらのメーカー品を納品しアスベストが含まれる製品の場合の対策も業界で取り組みが今後、進められるべきである。朝日の記事でも指摘していたが、鉄骨造の解体工事は要注意であり、そのほか近隣で解体工事がある場合は業者に安全確認を行うべきかも知れない。発症に時間がかかるためアスベストに暴露されてしまっても解体の場合には、原因特定が事後では難しくなるので、事前予防が最重要である。
2005/7/11
アスベスト被害の報告がニュースを賑わしている。ニチアスが公表してから関を切ったように様々なアスベスト被害が連日報告されている。
5年くらい前に設計を担当した物件で成形セメント板にアスベストが入っていることを知らず採用し現場の定例会議で議題に上がったことを記憶している。その時の結論は幸運にもメーカーがノンアスベスト製品を同価格でこの現場に間に合わせて生産するということで一段落した。
その時は日本でも不動産の証券化がはじまったばかりのときで「デュー・デリジェンス Due deligence)」という証券化の為の評価にアスベスト等の有害物質の評価項目があり、クライアントの為にも建築物の評価価値を落とすアスベスト採用製品は使用しないようにしようことで会議の合意があった。成型セメント材自身はおそらく施工されてしまえば殆ど健康被害を及ぼすような材料ではない。(ちなみに施工は竹中工務店で定例会議の面々も意識の高い人ばかりでいい現場組織であった。)
振り返ってみると、おそらく5年前はメーカーがアスベスト製品を生産していた最後に近い年だったように思う。現在設計している物件でもアスベストが製品に含まれていないかを調べると殆どのメーカーが、90年代前半に生産を中止している。
なぜこれほど被害が広がってしまったのか?
NHKの「クローズアップ現代」でアスベストの特集をしていたが、そのなかでアスベストの被害はこれから徐々に増えるということであった、その意味はアスベストの健康被害は有害な環境に晒されたときから10年以上たってから発症するからだそうだ。今回の設計した建築に岩綿吸音板や岩綿吹きつけを採用しているので調査したのだが、90年代前半までアスベストが含まれていたそうである、特に岩綿吹きつけは鉄骨造の耐火被覆に使用され最も安価なため広く普及している。ということは15年以上前に完成した鉄骨造のビルには当然使用されていて、その環境で仕事をしている人は何万といるわけで、その吹き付け作業をしていた作業員の健康被害もこれから報告されるのだろう。(おそらく耐火被覆の場合は天井内のことなので健康に被害を及ぼすレベルではないだろうが、天井が貼られておらず、露出していれば要注意である、仮に天井が貼られていても解体や改修時には問題になるだろう)つまりアスベストは安価な普及品であったこと、尚かつ健康被害が生じるまで時間がかかること、そして経済優先の後手、後手の政府の対策などが複合して被害が広がったのではないだろうか?現在も他の材料に目をやれば同じような状況にある。例えば、建築基準法はシックハウスの原因になる化学物質を規制している。しかしシックハウスの規制対象製品も対象部位でなければ使用はできるし、ましてや換気を充分にすれば使用して良いのである。(もちろん停電することは想定されていない。)ここでも産業保護の為に生産中止命令はまず行われることはないし、むしろ被害者は自ら隔離された環境に移り住まなければならない。
この手の話は、次々と時代と共に露呈するわけで法や政府に任せておけば安心ということがあり得ない以上、自己防衛するほかないのだろう。よってメーカーには詳しい情報の公開を、そして我々はそれをどう評価するかが大切な仕事のひとつなのである。
2005/7/8 ishikawa
Yoshio Taniguchi, Glenn Lowry
「谷口吉生のミュージアム」開催記念講演会シリーズ第4回(最終回)
6月25日 ゲストはMomaのキュレーター、テレンス・ライリー氏であった。東京オペラシティリサイタルホールで開催された。
今回はMOMAのキュレーターであり、谷口氏をプロポーザルで選んだ側のゲストであったので、選出の経緯などの話に及ぶと思っていたが、意外にもテレンス・ライリー氏の現代建築考ともいうべき内容の講演であった。
内容は建築のメディアとの関わり、関係の変容をパリのノートルダムから歴史を辿る話であった。
それはマクルーハンの「グーテンベルグの銀河系」のようなメディア史と建築史の歴史を辿る話で、各時代のポイントとなる、写真、電話、広告、テレビ、インターネットというメディアによって建築が時代のメディアとして機能した役割が次第に小さくなり、メディアも時代と共に多様化してきたというストーリーである。驚くべき新しい内容は特になかったが、その知識とデータの分析によるプレゼンテーションは堅実な印象であった。
最後に
20世紀後半から現代の状況を「deep skin beaty」と称して建築の感心は形ではなく表層に向かうという、現代の批評家お決まりの結論で締めくくった。
ちなみに彼が現代を象徴する建築として
レム・コールハースのZKM
ゲーリーのグッゲンハイム、ビルバオ
ピーター・ズントーのスパ
の3点であった。
話としては正統で現代の状況をよく説明していたのだろうと思う。個人的には結論が「またか」というお決まりのものであったことが不満であった。
「メディアが多様化すると価値観が均質化する。」雑誌も同じような建築ばかりが溢れているように感じる。じつは最近、メディアに紹介される建築をみることが段々苦痛に感じはじめている。
今回が最後で、この展覧会は丸亀と豊田という谷口氏の美術館を巡回する予定です。
4回の講演はそれぞれゲストの性格が異なり大変面白かった。個人的には3回目の鈴木博之氏の回が講演会らしくなく芸能レポーター並の興味と突っ込みが印象的というか楽しかった。
2005/7/3 ishikawa
「谷口吉生のミュージアム」開催記念講演会シリーズ第3回
The New Museum of Modern Art
Yoshio Taniguchi, Glenn Lowry
「谷口吉生のミュージアム」開催記念講演会シリーズ第3回
5月27日 ゲストは建築史家の鈴木博之氏でした。オペラシティの近江楽堂で行われました。
講演の概略は
鈴木氏によってまず美術館建築の歴史、ルーブルから近代、現代までのレクチャーがありその中で谷口作品はどのような位置づけになるか鈴木氏の考えが少し述べられ、その後、谷口氏との対談になりました。前2回と大きく違ったのは、やや突っ込んだ質問が鈴木氏から谷口氏へぶつけられていて、そのやりとりだけで講演会の時間を全て費やしてしまいました。ということで会場からの質疑は時間の都合でナシでした。
鈴木氏は最近の美術館の傾向を「site specific」というキーワードで安藤氏の直島の地中美術館、妹島、西沢氏の21世紀美術館を現代の美術館を前者は神殿的、後者を誰でも気軽に訪れることができるフラットな美術館として対極に位置づけて、谷口氏のMomaをその中間的と考えればよいのかという質問から
谷口氏によれば、地中美術館も21世紀美術館も自分には「site specific」とは言えず、むしろどににでも成立する「プロトタイプ」建築であって、谷口作品の「site specific」とはその土地でしか成立しない方法によって作られていると・・・・・・・。
というような回答になり
その後の鈴木氏のしつもんは回答から次々と以下のように展開された。
安藤氏、妹島氏に比較すると方法論がないというか弱いのはなぜか?
丹下建三事務所ではどんな仕事をしていたか?
なぜ機械を大学で勉強していたか?その卒業設計は何をしたのか?
なぜ建築の道に進んだのか?
なぜディテールに力を注ぐのか?
などなどたぶん鈴木氏の興味本位で様々な質問がなされていたのだが、たぶんいままでにテキスト化されていない部分に質問が集中していいたように思う。なので回答も初めて聞くことが多く大変興味深い内容であった。(この講演の内容はテキスト化されるのであろうか?)
その後
谷口氏の展覧会パンフへのサイン会が開催されました。(サインしていただきました。ありがとうございました)
205/5/30 ishikawa
前回の横浜アイランドタワーに直結している、みなとみらい線の馬車道駅。設計は内藤廣氏です。改札部分のドームです。みなとみらい線全体に言えますが、東京の地下鉄に比較すると余裕のある感じがします。地下鉄というと陰鬱で圧迫感のある地下空間の先入観があるのですが、ここは気持ちのいい空間でした。以前にワシントンDCに行ったときには大きなボールト上のインテリアのある駅舎のことを少し思い出しました。
階段です。難しい納まりですが綺麗に施工されていました。内藤さんのデザインは隅々まで目が行き届いていて手抜きやすきのないことにいつも感心させられます。見習わないといけませんね。ここにも大きな空間にレリーフが飾られています。細かいことですが、難を言えばレリーフを照らすライトが狙い通りではないような気がします?鋼管の柱をそのまま見せているので、細くみえます。
205/5/19 ishikawa
旧横浜銀行本店別館 横浜アイランドタワー
槇事務所のデザインです。旧横浜銀行本店別館を補修改修してホールとして複合施設となっています。
夕方近くで逆光になってしまいました。オフィス棟は27階建て高さ約120Mです。
旧横浜銀行本店別館のホールです。思ったより明るく気持ちの良い空間です。普段は誰でも入れるようです。お茶もセルフサービスで置いてありました。
正面の階段の上から撮影。実はこの天井裏に貸しホールがあります。
横浜には明治頃の近代建築が多く残されていて、この旧横浜銀行本店別館同様に数多く保存されていて街並に歴史的な奥行きがありますね。
旧横浜銀行本店別館データ
竣工:昭和4年
設計:西村好時
施工:清水組
横浜市のHPに認定歴史的建造物一覧があります。
http://www.city.yokohama.jp/me/tokei/site/design/m09/building/
2005/5/18 ishikawa
The New Museum of Modern Art
Yoshio Taniguchi, Glenn Lowry
「谷口吉生のミュージアム」開催記念講演会シリーズ第2回
5月11日 槇文彦講演会 となっていましたが、ちょっと違いました。
急遽、矢萩喜従郎氏の司会による谷口生吉氏と槇文彦氏の対談ということでスタートしました。はじめに矢萩氏による、谷口作品の分析がスライドによってなされました。素晴らしくわかりやすく思慮深い解説で谷口作品を明晰に分析されていました。
その後、槇氏と谷口氏に質問をしながら対談がすすめられました。詳細について全ては書ききれないので今回の講演会で個人的に印象的だったことをメモ程度に。
矢萩氏の分析の中で、谷口作品の求心性と遠心性をあわせもった計画なっていること。
槇氏がニューヨークで働きはじめサラリーを貰った時にまずMomaの会員になったというエピソードからはじまり、ニューヨーカーにとってMomaという施設が重要であるということ、特にアメリカのような移民の国にとって、都市のsancturyであるということ。
敷地から建築を考えることについて、槇氏の発言でアプリオリな願望、つまり自らの中にある建築のアイディアを何が可能か否かを敷地は教えてくれると言うこと、また最近の若い人達がそれとは反対のアプローチにチャレンジしているということ。
谷口作品の躙り口的なエントランスと比較して槇氏は自らは角入りであること(建築の機能による)その理由として、自らは都市に建築を開きたいと考えていて、角入りは同時に内外を感じる手法としてもちいていること。
まだありますがブログなので自分に重要なメモだけです。また第1回と内容が重複している部分は省きました。
2012/5/14 ishikawa
旅客ターミナルを離れて、ホールのインテリアへ。ガラスの風除室です。これは格好よくできています。ホールの屋根の構造、ターミナルと違うのは、奥行きが短く、天井が高い?(たぶん)じゃないでしょうか?つまりインテリが明るい。海に視界が抜けているのいいですね。天井の雰囲気はターミナルと同じなので、省略します。この日は変な物売りイベントのせいで海の見える側まで近寄れませんでした。このホールから地上へ抜ける通路です。青いランプです。この色のランプで思い出すのは、わたしが担当していた建築でインテリア事務所がこの青いランプをプレゼンテーションした後に、年輩の取締役のひとりが「殺菌灯にみえるんだよね」さらに通路を上がると徐々に光の切れ込みが大きくなります。シャープでカッコイイですね。
全体の印象。この建築の一番の特徴は、階段のない連続した面で作り上げられた空間構成にあると言えます。それが実現し完成したこと自体に価値のある建築と言えます。実際に上下階を階段ではなくスロープの面で連続させた空間体験は新鮮でした。反面、日本人のサガなのでしょうか?細かいディテールや暗いインテリアなど大雑把というか、おおらかというのか、そういった建築のディテールが気になりました。旅客ターミナルという、旅立ちの場としては繊細さを欠いていてせっかくの新しい技術や空間が建築の機能と相まって、昇華させるところまで達していない感じもします。
2005/5/12 ishikawa
横浜大桟橋 その4
メインエントランスです。熱線吸収ガラスかと思いましたが、インテリアがくらいのでそうみえるだけでした。中に入ります。
エントランス脇の油圧式のエレベーター。駐車場とターミナル間を行き来しています。旅客ターミナル全景、実は見返しているので、エントランスのある方向を見ています。
設計者のこの建物の説明書きが展示されていて、この折り板を連続したようなデザインは、日本の折り紙などの伝統的な形を模していると書いてありました・・・・・。全体的に暗くてこれから旅立つ空間の雰囲気としては、はっきりいっていや感じです。暗いのが悪いわけではないのですが、雰囲気もイマイチなんで・・・旅立つ人や旅行客の玄関としては、陰鬱な雰囲気に見えるのではないでしょうか?インテリアの照明計画したんでしょうか?ちょっとがっかり。溶接のディテールをそのまま見せているので、やはりチープなフェリー並の雰囲気です。暗さとディティールの大雑把な感じがインテリア全体を支配しており、これはちょっといただけないですね。・・・そう橋の下って感じでしょうか。
2005/5/11
建築の段差や窪みを利用して溜まりをつくっています。天気の良い日は気持ちよさそう。正面に見えるのが大桟橋ホール。そこへのアプローチが屋外シアターのようにつくってあります。客席が部分はうまくデザインされていて、ここの屋外では一番格好良い場所になっています。ウッドデッキはとてもうまく貼れていてサスガ日本の職人だと感心です。休日ということもあって、芝では公園にように寝そべっているひとが沢山います。水辺は都市のアジール(待避所、都市生活者の誰がいてもおかしくない場所)ということで、そういう場所性を芝生公園として建築化したということでしょうか・・この建築の本質ではないですけど。このステンレスの手摺りのデティールも相当苦労したんじゃないでしょうか、ひとつのデティールでこの建築のすべての場面で使えるように考えられているようです。逃げ(誤差)を3次元的に処理出来ることと、2点の脚を持つことで、キャンティレバーに出来ることが特徴でしょう。これ以上のデザインがあるかと言えば・・・・?ですが、出来たものをみると雑然としていて、いまひとつです。
2005/5/7 ishikawa
横浜大桟橋を遅ればせながらはじめて、訪問してきました。横浜大桟橋は1994年~1995年に国際コンペが開かれ世界41ヶ国660案の参加がありその中から選ばれたデザインがイギリス在住の建築家、アレハンドロ・ザエラ・ポロ、ファッシド・ムサヴィ両氏の提案でした。個人的な記憶で、この建築をみて思い出すのは、篠原案の選出を巡って提案者と審査員(磯崎新氏)の論争です。篠原案のフォルムは息をのむほどの緊張感と美しさに満ちており、同じ時期のヘルシンキの美術館案かどちらか実現して欲しかったと思います。・・・とちょっと脇道にそれましたが・・・
とりあえず現在の大桟橋の写真です。正面からアプローチしたところです。ハッキリ言ってかなり地味なアプローチです。
途中から歩道がウッドデッキに変わり、スロープになります。ここから旅客ターミナルの玄関と屋上へ上がるスロープと分岐します。ご存じ通りこの建築には階段らしい階段がありません。サインもこんなです。ちょっと微妙・・・あとづけですかね??旅客ターミナルの玄関です。熱反射ガラス?なのか黒く見えます、インテリアが暗いせいですかね。屋上の手摺りとエントランスの梁との取り合いが苦しい感じで、最後は蓋をしておしまいって感じです。この建物は面の連続で構成されているので、このようなスロープがあちこちにあります。
2005/5/6 ishikawa
Yoshio Taniguchi: Nine Museums
「谷口吉生のミュージアム」開催記念講演会シリーズ第1回
4月22日 新見隆(武蔵野美術大学教授)ゲストにより行われた講演会を聞きに行った。
恥ずかしながら、新見隆(武蔵野美術大学教授)の予備知識がないまま行ったのだが、かつてのセゾンミュージアムのキュレーターということで建築の領域のひとではなく、アートの世界に人であった。
講演では新見氏と谷口氏が同時に登場し、新見氏の講演をまず座って谷口氏が聞いているという形ではじまった。
講演の内容は、Momaの増築が日本的であるということからはじまり、その他の谷口作品の日本的な側面について新見氏の言葉で説明をしていたように思う。要約してしまえば、西欧の一神教に対し日本の八百万の神的、多神教の空間という説明から、一神教的な閉じたホワイトキューブではなく茶室や日本の伝統建築的な外部空間との関係や導線の導き方によって、開かれたホワイトキューブとなっているというようなことを様々な角度から説明されていた。そして新見氏の講演のあと谷口氏の短い挨拶があり、質疑の時間となった。質問は建築学生が主だったようだが、建築を専門としない人も質問していた。谷口作品の人気の高さを物語っていたように思う。
感心したというか、とても立派だと思ったのは、谷口氏の質疑への回答の質の高さと態度であった。学生のやや的を得ないような質疑に対しても、場を白けさせせないよう真摯に相手の意図を読み解き答えていた。
質疑の回答で印象に残ったのは、断片的であるが次のようなキーワードであった「敷地から発想する」「外部環境、都市との関係について」「建築を雰囲気のように創りたい」
特に「昼から夜に反転する夕刻に内と外の明るさが一致する瞬間に内と外の境界、つまり建築が消える瞬間に場の雰囲気だけが残る、それがとても魅力的な時間である」とおしゃっていた。おそらく自らの建築もそんな雰囲気として存在する建築をつくりたいと考えているのではないかと感じた。
最後に
材料について質疑がなかったのはやはり実務者の質疑がなかったからではないだろうか。新見氏も材料についてはあまり多くを語らなかった。(専門外なので仕方がないかもしれないが)谷口建築は一見シンプルなので真似をしようと思うと、材料や施工技術が如何に極められていていて簡単に真似の出来ない次元に高められていることを思い知らされる。そしてその材料や技術にも新見氏が指摘した日本的美意識が徹底されていることに気づかされるのである。おそらく次回のゲストである槇文彦氏はそのあたりに触れるのではないだろうかと、ちょっと予想しています。
ということで、次回は建築家槇文彦氏がゲストです。もちろんチケット入手済み。またレポートします。
メモと記憶からおこした印象記なので、同席した人で内容に間違いや批判があればお手数ですがコメントしてください。
2005/4/26 ishikawa
Yoshio Taniguchi: Nine Museums
谷口吉生のミュージアム
東京オペラシティのアートギャラリーで4月8~6月26日まで開催されている。MoMAの巡回展である。
近くに住んでいるので早速見に行きました。1時頃に入館したが昨日から開催のせいか、週末にもかかわらず閑散としていて、よく見られた。
全体はMoMAの増築をメインに、過去のミュージアムと竣工したばかりのモノ、進行中と思われるプロジェクトが展示してあり、ビデオによる映像もある。
MoMAのセクションは見応えがあり、MoMAの建築の歴史から、コンペ初期のスケッチやコンペ案、そしてそれに応じた模型の展示、さらに膨大な実施図面が置かれていた。
MoMAのセクションでは建築家なら誰もが一度は夢見るような、いつか世界的なコンペに勝ち素晴らしい建築を実現し名声と名誉を得るという、アメリカンドリームのようなストーリーを追体験し、自分のことのように緊張するのではないだろうか。わたしは展示室に置かれていた、コンペに勝ったことを証明する手紙の展示を見て興奮してしまった。
それにしても、今回氏が手がけた増築はもの凄く複雑で修復なども含めると気が遠くなりそうなプロジェクトであることに、この展示をみて気がつかされた。
その他のプロジェクトのセクションでは、計画ごとに大きな模型が置かれており、しかも内部空間の構成がわかるように屋根が一部外され展示室と内部の導線がわかる模型がおかれており、まだ見に行ったことのないミュージアムもその建築の特徴がわかりやすかった。
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それにしてもそれにしてもである。
あまり作品の多くない建築家だと思うがひとつひとつの密度は素晴らしい出来映えでおそらくこんなに密度の高い設計だけをやり続けている建築家は現在、世界に谷口氏唯ひとりだと思う。どんなにエスタブリッシュされた建築家も多くの仕事のなかには凡庸な建築もあるものだが、谷口氏に関してはミュージアム以外の作品も素晴らしく質が高い。それとも発表しないプロジェクトがあるのだろうか?
谷口氏の作品では土門拳美術館と法隆寺館が一番感銘を受けた。
しかし谷口氏本人には一度もお会いしたことがないので、この展覧会の講演会4回すべて
予約した。どんな人物なのか大変興味深く楽しみでもあるが畏れもある。
2005/4/9
建築家の丹下健三氏が亡くなりました。21世紀に入り、建築界だけでなく社会全体の変わり目にあって、ひとつの時代を築いた建築家が亡くなることは象徴的である。
モダニズムに日本美を追求した美しい建築物は今も尚、輝きつづけ多くの建築家に影響を与えた。私的には代々木体育館が最高傑作と思う。ご冥福をお祈りいたします。
2005/3/22 ishikawa
幕張ベイタウンの3年くらい前の風景。写真は一番海側の高層棟から撮影したもの。埋め立て地から住宅の分譲が始まったのは、10年以上前である。前に勤めていた事務所では第2期の分譲の設計をしていた。1期の分譲が6街区だったのでまだまだ殺風景な街だった。2期で仕事を担当したときは、周辺の街路の設計と10番街の設計を担当した。住棟や街路等の設計にはこの街のデザインガイドラインのルールに従わねばならず、計画段階でデザイン調整者8名からなるデザイン会議にかけられ了承を得る必要がある。そのような経過を経て出来上がった風景が初めの写真である。民間デベロッパーも参加している事を考えるとこの制度はかなりの成果を上げていると感じる。東京から京葉線で来ると途中の大規模団地やマンションの風景を見れば違いは歴然としていることがわかる。街も1階には店舗がテナントとして入居していて、レストラン、カフェ、ブックショップなど気の利いた店も多く徐々に成熟した街となってきた感がある。
2005/2/16 ishikawa
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